未経験から動画クリエイター/起業家へ|僕がこの仕事に辿り着くまでの話 パート2|波乱万丈な幼少期から高校受験まで

こんにちは。宮城・仙台で「人の心を紡ぐ動画クリエイター/起業家」として活動している 黒木 直一郎(Naoichiro Kuroki/ナオサコ)です。

前回は、私がサラリーマンを辞めてフリーランス・リモートワーカーとして活動し始めた約10年前から現在に至るまでのお話をしました。

未経験から動画クリエイターへ|僕がこの仕事に辿り着くまでの話

今回はさらに時計の針を戻して、私の「原点」とも言える幼少期から学生時代の生い立ちについてお話ししたいと思います。

「有名人でもない一般人の人生を語って、何の意味があるのか?」と思われるかもしれません。

しかし、私は「どんな人の人生にも独自のストーリーがあり、それは誰かの力になれる」と信じています。

私の経験談が、誰かの勇気や希望に繋がれば幸いです。

福島県双葉町での誕生と、ほろ苦い「不登校」の記憶

小学校高学年になると、私はすっかり体育会系の少年になっていました。

低学年の頃はサッカー、3年生からは野球に打ち込んでいたのですが、5年生の時に人生を揺るがす大きな事件が起きます。

野球の練習中、先輩が素振りしたバットが私の頭を直撃したのです。診断は「脳内出血および陥没骨折」。

まさに生きるか死ぬかの大事故でした。

よく「死ぬ間際に三途の川を見た」とか「走馬灯が駆け巡った」という話を聞きますが、私はその瀬戸際の感覚を本当にはっきりと体験しました。

頭の手術を受け、3ヶ月ほどの入院生活。

後遺症こそなかったものの、退院後もしばらくは月に一度の脳波検査が欠かせない日々でした。

この経験は、私の人生観のどこかに深く刻まれている気がします。

赤点常習犯で停学!?破天荒すぎた中学校生活

中学校に進学しても、私の勢い(?)は止まりませんでした。

入学してわずか2週間ほどで、学校に持ち込んだエアガンが見つかり、いきなり「停学」。

親が呼び出され、猛烈に怒られたのを覚えています。

当時の私は、授業中はひたすら寝て、部活(野球)に明け暮れる毎日。

当然、成績はボロボロで、テストの点数はいつも30点未満。

常に追試を受けている「赤点常習組」のトップランナーでした。

さらに野球部に所属していながら、勝手にサッカー部の練習に混ざりに行って野球部の顧問を困らせるなど、今思えばかなり破天荒で自由奔放な学生時代を過ごしていました。

受験直前の大逆転と、不思議な「縁」の伏線回収

そんな私にも高校受験の時期がやってきます。

志望したのは地元の進学校「双葉高校」。

赤点常習犯の私にはあまりに高い壁でしたが、受験の2〜3ヶ月前に家庭教師を付けてもらったことで転機が訪れます。

その先生との相性が抜群に良く、初めて「勉強が面白い」と感じたのです。

意外にも理数系の才能があったようで、数学が得意科目になりました。

結果、普通科には落ちたものの、スライド合格で「英語科」に滑り込むことができました。英語は全く好きではありませんでしたが(笑)。

実は、この高校時代に出会った隣町の友人が、巡り巡って今現在お仕事で大変お世話になっている会社のマネージャーを務めています。

人生の伏線回収というか、人の縁というのはどこで繋がるか分からないものだと、つくづく実感しています。

まとめ:人の人生は、最高の教科書

幼少期から高校入学までを振り返ってみましたが、改めて語ると自分のことながらなかなかのボリュームですね。

私は、たとえ有名人でなくても、一人ひとりが持つ「人生の物語」には計り知れない価値があると思っています。

私自身、介護職の経験から「傾聴」を学びましたが、人の話を聞くのが大好きなのは、その人生経験が自分にとって大きな学びや参考になるからです。

この「自分語り」が、読んでくださった方が何かを始めるきっかけや、壁を乗り越えるための勇気になれば、これほど嬉しいことはありません。

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