宮城県仙台市を拠点に活動している、人の心を紡ぐ動画クリエイター・起業家の Naoichiro Kuroki(黒木 直一郎)です。
今回は、少し原点に立ち返って、
「なぜ自分が動画クリエイターという仕事に辿り着いたのか」
その生い立ちを含めてお話ししてみようと思います。
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普段は年間100本近い動画を制作・納品していますが、契約の関係で公にお見せできない仕事も多く、「何をしてきた人なのか」が伝わりにくい部分もあると思います。
本記事の内容
もともと僕は、システムエンジニアとして会社勤めをしていました。
しかし家庭の事情により、それまで続けてきた仕事を手放し、家に入り、子どもの世話を中心とした生活を送ることになります。
とはいえ、
「家にいるから何もしなくていい」
という状況ではありません。
生活を守るためにも、何かしら収入を得る手段が必要でした。
そこで考えたのが、
「家にいながら、ネットを使って働く」という選択です。
今でこそ当たり前になったリモートワークですが、当時はまだ走り始めたばかりの時代でした。
最初に初めてみたのが、クラウドワークスでの仕事です。
検索キーワードに沿って情報を調べ、100件、200件とリストアップする作業。
単価は、1件0.25円。
正直、
「何時間やって100円?」
という世界でした。
それでも、実績がなければ次の仕事は来ない。
黙々と作業を続け、評価を積み上げていきました。
少しずつ実績が増えると、オンライン秘書のような仕事も入るようになります。
- 資料作成
- 見積もり作成
- リサーチ業務
同時期、
「ブログで稼ぐ」という流れもあり、
自分もブログに挑戦しました。
それと、1年かけて100記事を書き、広告収益は月1万円。
Google AdSenseのことです(笑)
今思えば決して大きな金額ではありませんが、「仕組みで収益が生まれる」感覚を掴んだのは大きな経験でした。
そしてもう一つ始めたのが、YouTube です。
YouTubeで何をやるか考えたとき、自分の環境と経験を見直しました。
- 海が近い
- 幼少期から釣りをしてきた
- 道具さえあれば始められる
そうして始めたのが、釣りYouTubeでした。
撮影、編集、投稿をすべて自分で行い、結果的に動画は300本以上、登録者は最大3,500人ほどに。
今の基準では小さな数字かもしれませんが、この経験がなければ、今の自分は確実にありません。
YouTubeを続ける中で、ふと考えるようになります。
「これ、自分の動画じゃなくて誰かのために作る仕事もできるんじゃないか?」
そこから一眼カメラを手にし、映像表現の世界へ踏み込みました。
当時、シネマティックな映像表現に強く惹かれ、ブログや映像作品を食い入るように見ていたのを覚えています。
憧れから始まった挑戦でしたが、気づけばそれが仕事になり、今は動画クリエイターとして生計を立てています。
ここまでかなり簡略化して書きましたが、正直、この10年以上は最高に険しい、苦しくて苦しくて息をするのもやっとなくらい道のりでした。
先が見えない時期も、何度もあった。。。
それでも、
「これだ」と決めたことを続けてきたから、
今があります。
暗闇の中にいるときは、出口が見えないものです。
でも、信じて続けていれば、必ずどこかに辿り着く。
この文章が、今何かに挑戦している誰かの小さな後押しになれば嬉しいです。
REDHEAD 